急に都内も涼しくなりましたが、皆さん風邪などひかれていませんか?
8月の越喜来でのイベントで復活された「大漁踊り」の件は、以前紹介させていただきました。
その内容及び現地に行かれた先輩さんより、レポートを頂きましたのでここに紹介させていただきます。
写真はこちらにてレイアウトしました。
(2010年8月撮影)
「大漁踊りへの思い」
北里大学水産学部(現在は海洋生命科学部)の学生は、最初の1年間を神奈川県相模原市で過ごし、卒業するまでの3年間を、大船渡 市三陸町で学びます。
相模原で、いわゆる「普通」の学生生活をスタートさせ、秋の学園祭で三陸の先輩がやってきて披露する「大漁踊り」なるものを目にした 第一印象は「???」かもしれません。
(相模原キャンパスに掲げられる大漁旗、一番上の旗は先日、漁を再開した「二ツ水漁場・第18小壁丸」のものです。二ツ漁場は連日多くの魚が獲れているようです【2011年9月22日現在】)
整然と並ぶ学ラン姿、太鼓の響き、いきなり現れる赤い褌姿で駆け回る集団。来年度からの三陸生活に漠然とした不安を覚えるかもしれません。 2年生になり、三陸町に住むことになった学生は、「なにもない」 と、嘆きます。
同じアパートや下宿の先輩が、どことなくどっしり と構えているのに対し、傍目にもひ弱に見えます。
そんな後輩に、 先輩はいろんなことを教えてくれます。
釣りのポイント、食堂のおすすめメニュー、夜のドライブ、夏虫山から見る景色、蛍の乱舞… 。
崎浜や浦浜の風に吹かれているうちに、見栄とかハッタリのような、余計な皮膚が削がれ、漁師町の気風を感じることができるよう になってきます。
帰省先から戻って、近所のおじさんやおばさんから「おかえり」と声をかけてもらうようになると、そろそろ大漁踊りの練習が始まり ます。
大漁踊りの始まりには諸説ありますが、いずれにしても40年ほど前の学生が始め、代々の体育会系の学生が受け継いできた、数十名 から百名あまりで行うパフォーマンスです。
大漁旗を高々と掲げ、太鼓を打ち鳴らし、学ランの学生が威嚇するように並びます。
始まるのは、口上とそれに続く歌に合わせたコミカルな踊り。表情はあくまで真面目で、ふざけたような歌を歌い、笑いを狙うような踊りをしながらも、統制のとれた動きには乱れが ありません。
口上を、歌を、踊りを見ていて、ちょっと手拍子でもと思い始めた時、隣にいた学生が突然服を脱ぎ始めます。赤い褌だ けを身につけた、赤フン隊の登場、乱入です。
縦横無尽に走りまわりながらも、歌と踊りは続きます。そして、最後に全員が収斂する 歌が歌われます。
少し長めの口上から始まるその歌は「水産放浪歌」。
時に怒鳴るように、あるいは叫ぶように歌われるこの歌は、水 産学部の学生のいわばソウルソングです。
「洗練」とか「スマートさ」とは無縁の、無骨で野暮ったくて粗野なパフォ ーマンス。
大漁踊りは、三陸町で自分の個性と出会った学生達の、荒ぶる魂を、センチメンタリズムを、馬鹿なことに真剣に取り組む 開き直りと誇り、連帯感を主張し、表現したものです。
自己満足かもしれないけれど、俺達にしかできない、そんなパフォーマンスを 通して、学生時代の友人が生涯の友となるのです。
大学での、三陸町での、大船渡市街での、相模原での、披露する場を経験する毎に、彼らの表情は誇らしくなっていきます。そして、 踊りを見る側の学生も、その誇りを共有していくのです。
厳しい冬を越し、三陸町を去り難そうな卒業生を見送って、新2年生を迎える頃、かつてのひ弱そうだった学生は、少し逞しくなった 先輩です。
彼らは、異邦人のようだった自分たちを受け入れてくれた人々の、海の山の川の、懐の深さに気付いています。後輩を連れ出しながら、三陸の自然を人情を、水産学以外にも学ぶフィールド の広さを感じながら、三陸町が「第二の故郷」となっていくのです。
いつからか、この大漁踊りは、途絶えてしまいました。
口上や歌詞に、前時代的な表現があることが理由かもしれません。また、飛躍的に変化したインフラや学生生活の変化に、そぐわなくなったから かもしれません。
しかし、大漁踊りに込められた、水産魂を持ち続けるOBがいます。心の中に、三陸町で素の自分に出会い、友人を得て、第二の故郷を思う気持ちを、今も持ち続けるかつての学生で す。
最初は「なにもない」と思った景色が、「かけがえのない」故郷と なったかつての学生は、今回の震災に大きな衝撃を受けました。
すぐに行動を始めた人もいます。情報を集めながら、三陸を目指した 人もいます。
(今回復活の第一声を呼びかけた山本君・震災後、越喜来に何度も入り海底清掃のボランティアをしています)
自分が経験していない大漁踊りを、三陸町の夏のイベントで披露したい。越喜来の方々へエールをおくりたい。という後輩卒業生達の声を耳にした時、かつての学生たちは、今も水産魂が健在であることを知りました。そして、全国各地から、年代を問わず、約20名 が三陸町へ帰省することができました。
今回の大漁踊りは、決して満足のいく出来ではなかったかもしれません。しかし、水産放浪歌の歌詞を変更し、エールをおくった気持ちが、祈りが、少しでも届 いたなら、と願っています。
残念ながら、今回参加できなかった仲間と共に、まだ何をすべきか迷う仲間を加え、これからも自分達の故郷のために、また、未来の後輩たちが三陸を経験することができるように、活動していきます 。
私達の恩返しは、これからです。
「大漁、故郷に錦を飾る 大漁、故郷に錦を飾る
大漁、故郷に錦を飾る 大漁、故郷に錦を飾る」
協力:
文章 15期卒業生
写真・監修 三陸を思う全ての卒業生
記事内の写真は撮影者の許可を得て使用しており、写真の著作権は撮影者に帰属します。
権利者の許可なく無断使用を禁止します。
また〈Facebook〉okirai goblin PROJECTとの共同レポートの為、写真にogPJTのロゴが入っています。
8月の越喜来でのイベントで復活された「大漁踊り」の件は、以前紹介させていただきました。
その内容及び現地に行かれた先輩さんより、レポートを頂きましたのでここに紹介させていただきます。
写真はこちらにてレイアウトしました。
(2010年8月撮影)
「大漁踊りへの思い」
北里大学水産学部(現在は海洋生命科学部)の学生は、最初の1年
相模原で、いわゆる「普通」の学生生活をスタートさせ、秋の学園祭で
(相模原キャンパスに掲げられる大漁旗、一番上の旗は先日、漁を再開した「二ツ水漁場・第18小壁丸」のものです。二ツ漁場は連日多くの魚が獲れているようです【2011年9月22日現在】)
整然と並ぶ学ラン姿、太鼓の
同じアパートや下宿の先輩が、どことなくどっしり
そんな後輩に、
釣りのポイント、食堂のお
崎浜や浦浜の風に吹かれているうちに、見栄とかハッタリのよう
帰省先から戻って、近所のおじさんやおばさんから「おかえり」と
大漁踊りの始まりには諸説ありますが、いずれにしても40年ほど
大漁旗を高々と掲げ、太鼓を打ち鳴らし、学ランの学生が威嚇する
始まるのは、口上とそれに続く歌に合わせたコミ
口上を、歌を、踊りを見ていて、ちょっと手拍子でも
縦横無尽に走りまわ
少し長めの口上から始まるその歌は「水産放浪歌
時に怒鳴るように、あるいは叫ぶように歌われるこの歌は、水
「洗練」とか「スマートさ」とは無縁の、無骨で野暮ったくて粗野なパフォ
大漁踊りは、三陸町で自分の個性と出会った学生達の、
自己満足か
大学での、三陸町での、大船渡市街での、相模原での、披露する場
厳しい冬を越し、三陸町を去り難そうな卒業生を見送って、新2年
彼らは、異邦人のようだった自分たちを受け入れてくれ
いつからか、この大漁踊りは、途絶えてしまいました。
口上や歌詞
しかし、大漁踊りに込められた、水産魂を持ち続
最初は「なにもない」と思った景色が、「かけがえのない」故郷と
す
(今回復活の第一声を呼びかけた山本君・震災後、越喜来に何度も入り海底清掃のボランティアをしています)
自分が経験していない大漁踊りを、三陸町の夏のイベントで披露し
今回の大漁踊りは、決して
残念ながら、今回参加できなかった仲間と共に、まだ何をすべきか
私達の恩返しは、これからです。
「大漁、故郷に錦を飾る 大漁、故郷に錦を飾る
大漁、故郷に錦を飾る 大漁、故郷に錦を飾る」
協力:
文章 15期卒業生
写真・監修 三陸を思う全ての卒業生
記事内の写真は撮影者の許可を得て使用しており、写真の著作権は撮影者に帰属します。
権利者の許可なく無断使用を禁止します。
また〈Facebook〉okirai goblin PROJECTとの共同レポートの為、写真にogPJTのロゴが入っています。