私は学力不足で学校の授業にはついていくのが精一杯。
諸先生方のお力添えでなんとか卒業させていただいた落ちこぼれでした。
そんな私にとって「三陸で何を学んだ?」との問いに、自信をもって答えられることがあります。

それは「コミュニケーション」です。


三陸の人たちはみんな温かかった。


一見すると寂しい田舎暮らしは、私にとって今思えばさした人生の年輪を数えてはいませんが
一番華やかな時だった気がします。
6畳一間のアパートに一人でいても、この町にはたくさんの私を知っている人たちがいる。
そんな安心感があふれていました。

引越し移動日に事故をして、とにかくお金が無いので何でもやりますからアルバイト紹介してください!」と泣きついたのがしてん食堂との出会いでした。

してん食堂の睦子さんにはとにかくお世話になりっぱなしで、心の懐がとっても大きく何かあれば友達の家より食堂に足を向かわせるほどでした。

感謝しても感謝しても追いつきません。

そう


三陸の女性はみんな強かった。
出会う人出会う人、みんな自分を信じて何かに一生懸命打ち込んでいる、そして毎日忙しいながらも充実している、そんな人が多かった気がします。

貴重な出会いでした。

こんな貴重な出会いを経験させてくれた三陸に大学に感謝したいです。

どんな職業についても、専門技術の前に冒頭触れた「コミュニケーション」は
その良し悪しで職場の居心地や評価基準を大きく左右すると思います。

そんなことを口走る私が別に出世街道万進中という訳ではありませんが
三陸での3年間がなかったら、今よりは人として足りていない事があったんではないかって
よく思います。

TVで被災された方がお話されてました。

「明日やることがある幸せ」

そんな胸中を持ちながら日々過ごす東北被災地の方にとっては
1年ごときでは何も変わっていない、またあの「悪夢」が蘇るだけなのかもしれません。

今日こうして相模原キャンパスを使って催しをしたこと、すごく意義深く価値あることだと主催された方たちを尊敬します。
一様に仕事や家庭を抱えながらの準備は、さぞご苦労されたことと思います。

この震災復興のゴールは原発も含めると50年だとか100年といった規模で、見ていく必要があると聞きました。

続けていただきたい。

復興支援で集まる募金額は、月を追うごとに減少しています。
こうしたイベントが繰り返され、年を追うごとに逆に規模が大きくなれば、世間の目が1年に1度でもこの震災に向き支援の力が復活すると思います。

それが繰り返されることで被災地の方が3.11を、「悪夢」を思い出す日から、「絆」を感じる日に変わっていけば素晴らしいと思います。

とっても長い道のりだとも思いますが・・・

参加もしないで偉そうなことを申し上げてしまい恐縮ですが、是非毎年開催できるよう影ながら応援しております。

最後になりましたが、この震災で犠牲になられたたくさんの方々のご冥福を、1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

<1999年卒業/長野県在住・男性>