8月16日 「三陸港まつり」
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三水会のHPにもある通り、卒業生の皆様からの義援金が渡された、三陸港まつり。
在学中に花火などを見に行かれた方も多いと思います。

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元来この祭は、毎年8月16日に開催されており、初盆の方の家々を地元の郷土芸能である剣舞(けんばい)が回って供養が行われるとともに、夜には水難・津波等の被害者、魚介類の霊などをご供養する為の灯籠流しや花火大会等が行われていました。

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 この震災を受け、資金等の面からも開催が危ぶまれていましたが、様々な支援を受け開催される運びとなったようです。本来は浦浜の越喜来漁協などがメイン会場でしたが、津波の被害を受けたこともあり安全上の観点からも三陸中央公民館(卒業式が行われた所)にて行われました。(中央公民館も津波の被害を受け、二階まで津波の跡が残っています)

「こんな時こそ、この祭りを」震災初年度に、鎮魂、慰霊の色が例年よりも色濃く、厳かな雰囲気で始まりました。

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【「灯篭流し」が中止された代わりに灯篭供養が行われた。熊本県水俣市から311個の送り火に照らされる中、犠牲者の冥福を祈りました】

会場では多くの卒業生、現役生の顔もあり、そこで会う三陸で青春時代を過ごしたものが口にするのは、「何とかしてこの地に恩返しをしたい。」と言う事に尽きます。またこれは、都合により来られなかった多くの卒業生共通の思いでもあると思っています。

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【現三水会会長 高橋明義先生の挨拶】

そんな思いもあり、現三水会会長である、高橋明義先生の挨拶の中にあった「これから上がる花火は、北里の卒業生からの贈り物です」と言う言葉が、私の心には響きました。
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【卒業生の「思い」の詰まった花火】

華麗に開く花火が照らし出すのは、更地となった浦浜の市街地。
そのあまりにも理不尽なコントラストに私は胸が詰まりました。

打ちあがる花火を見上げて涙を流す方、喜ぶ子供達の笑顔。卒業生の思いの詰まった花火が越喜来の空を彩りました。
大きな花火大会ほどの数はなくとも卒業生の思いは、越喜来の皆様の心に届き、その音はきっと無念の御霊にも届いていると思います。

港まつりが終わり、私は東京へと戻りました。
地元の方との別れ際はこみ上げてくるものはありました。
それでも三陸の復興はまだまだ長い道のりが始まったばかりです。

初盆に、「迎え」そして「送った」多くの御霊の鎮魂、供養があってこそ、ここから真の「新たな一歩」が始まります。
学生時代、地元の方との付き合い方はそれぞれであったと思います。

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【GS「よこがけ商店」のおじさんと在校生】
 
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【会場には多くの露天が並び「北京亭」も復活】
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【多くの恩人にも会えました】
 私個人的には「支援」と言うよりは「応援」であり「恩返し」です。
行くだけで喜んでくれる人がいる、酒を酌み交わすだけで笑顔になる人がいる、一緒に釣り糸を垂れるだけで気持ちが落ち着く人がいる。
個人個人でできる事は異なりますが、その根底に「三陸を思う」気持ちがあればそれでいいと思います。
もちろん全ての被災地が一日も早く復興することを願って止みませんが、我々はその気持ちが三陸に少し偏っていても仕方がないと思います。青春をあの地で過ごしたのですから。

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最後になりましたが、水産学を学んだものとして、やはり三陸の漁業の今後が気になりますし、個人ではどうする事はできないかもしれないけれど、気にしていてほしいと思います。
ウニやアワビの姿は壊れた防波堤の上からでも見る事はできましたが、あれだけ越喜来湾に浮いていた養殖棚のブイは、現在全くと言って良いほどありません。
これからの町の復興は、漁業の復活なくしてあり得ません。

現在(8月後半)は秋のシロサケの定置網に向け、動き始めている漁師さんもいらっしゃいます。
願う事は誰にでもできると思います。近年回帰数が減っていると言われるシロサケが、沢山戻ってくる事を願うほかありません。

「美味しいイクラが食べたい!」「美味しいウニが食べたい!」そんなエールを送るのも、北里の卒業生だからできる事だと思います。
町が復興した際には、地元の方も交えて巨大な同窓会を開いてみたいです。
 現地はまだ余震が続いています。また宿泊先等も、現場の復旧工事関係の方で埋まっている事が多いです。三陸を訪れる際は、遠野辺りの内陸までを宿泊先の視野に入れ、充分注意して行動してください。