私は北里25期生です。
先月(2011年6月18日~)、三陸に訪問した際のレポートをまとめました。

■越喜来の状況
今回、大船渡、陸前高田、気仙沼、越喜来を見てきましたが、越喜来はもっとも作業の早い地域だとおもいました。
瓦礫はひとまとめにされ、整然としていた印象でした。
3月に直後の宮城県女川を見ていただけに、片付けられたサラ地の町はショックというより、復興への思いを確かにしたのでした。

しかし、生活はまだまだ苦労が多いです。
ローソンは営業しているものの、スーパーは盛、猪川に行かなければならず、不便さには変わりはありません。
そのスーパーも、鮮魚はほとんどなく漬け魚や干物、輸入加工品がおおく、やっとカツオがお刺身で出回り始めたところでした。


越喜来の商店者も、復興に前向きな事業者と不安な事業者といるそうです。
住民が戻ってくるのか、住めるのか、家が建つのか…まだまだその見通しをつける段階ではなさそうです。
中には越喜来診療所の建物を使って共同店舗を展開しようかという話もあるそうですが、何年か後に個人店を復活する段になったときのことを考えると、難しいことも多そうです。


港は浦浜、浪板、崎浜のほとんどの船は失われ、崎浜にはわずかに数艘が浮かぶだけでした。
往時は崎浜だけでも大小合わせて300艘あったそうですが、海底から引き揚げられたのが70艘ほど。
船だけでは語れないのが、港。地盤が落ちたせいで満潮時には岸壁に水が打ち上げてきます。
また製氷機が壊れているので、大きな水揚げはできないのです。



■私にできること
まずは、三陸の皆さんに元気を届けること。
三陸へ行く前は、「支援」というと物資や資金のことを思い浮かべがちでしたが、訪問して感じたことはそこに住む方たちが、「よしっ!やったろう」と思うことだと。
「復興したい」という願いがあり、がんばろうとしている。一方で住民が残るか、仕事はあるか、家が確保できるか、不安に苛まれている。
物資は豊富なほうがいい。資金もあればあるだけ必要だ。

けれど。
私たち一人一人が、末永くできる支援は、「声」。


10年前、住んでいた土地。
誰も自分のことは覚えていないかもしれない、と思う。
けれど、想像以上に越喜来の皆さんは覚えていてくれた。
だから、知っている人に「電話してみよう」「手紙を書いてみよう」そう思った。
越喜来なら、もとの住所でも届くと思う。(勝手だけど)


■さいごに
このブログを通じて、何が伝えられるだろうか。
間違った情報で誰かを傷つけないだろうか。
三陸に迷惑が掛からないだろうか。
そんな不安が有り、迷いもあったけど、
やっぱり、何かしなくてはと思い、筆をとりました。
10年、20年と続けて行きたいと思います。